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東京地方裁判所 昭和38年(行)115号 判決 1966年6月21日

原告 佐山啓二こと 崔介一

被告 池袋労働基準監督署長 伊藤春一

右指定代理人検事 藤堂裕

<ほか二名>

主文

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする

事実及び理由

第一当事者双方の求める裁判

原告は「被告が昭和三七年三月八日原告に対してなした労働者災害補償保険法による障害補償費支給に関する処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二当事者間に争いのない事実

一  原告は三田工業株式会社に土工として雇われ、昭和三六年七月三一日午前八時三〇分頃、東京都板橋区舟渡三丁目二八四八番地八幡鋼管株式会社工場内において、ウォーキングビーム型管材炉炉体基礎工事の地面掘削作業に従事していたところ、漏電していたベルトコンベアの胴体に触れ感電受傷した。

二  原告は同日から同年八月三一日まで、電撃症として、八幡鋼管株式会社診療所に通院し治療を受けたが、その後、被告の指示により同年九月一日より一〇月五日までの間、東京労災病院に、同年一一月六日より同月二四日までの間、関東労災病院に、それぞれ通院のうえ治療及び精密検査を受け、その結果、被告より同年一一月二四日をもって治ゆと認定された。

三  そこで原告は被告に労働者災害補償保険法(以下「法」という)による障害補償の給付を請求したところ、被告は昭和三七年三月八日、原告に対し、原告の前記受傷による障害は法施行規則(以下「規則」という)別表第一身体障害等級表(以下「障害等級」という)第一四級九号に該当するとして障害補償費の給付を決定(以下本件処分という)した。

四  原告は被告の右処分を不服として同月二六日東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、審査官赤井信雄は同年一一月二七日原告の審査請求を棄却した。そこで原告は更にこれを不服として同年一二月二七日労働保険審査会に対し再審査を請求したが、同審査会は昭和三八年七月三一日再審査請求を棄却する旨裁決した。(なお、右裁決が、同年一〇月七日以後に告知されたことは、成立に争いのない甲第一号証の記載により明らかである。)

第三争点

一  原告の主張

原告は現在においてもなお他の病院に通院受療を続けており前記受傷後現在に至るまで次のような障害が存する。

(一)  脳神経面

(1)後頭部、額が痛む。(2)低い物音でも脳に響く。(3)めまいがする(特に横臥した後、頭を上げた時、横目で凝視した時)。(4)瞳がまわらない。横目で凝視すると眼前がかすむ。視力減退。(5)記憶力減退。特に雨天の際毎日通る道の方向がわからなくなることがある。

(二)  泌尿器面

(1)性欲減退。(2)精子減少。(3)性関係直後全身に痛みを覚える。

(三)  内科面

(1)胸部、背中が痛み、夜中に空咳が出る。(2)心臓、肝臓がふるえる。(3)前伏せした後急に起上がることができず、静かに起上がっても臀部から腰部が非常に痛む。(4)起床時、ときおり両腕、肘の関節から指先にかけて冷え、しびれ、血液がとまったような感じがして仮死状態を思わせる。少し重い物を持つと肘と関節が棒のようになって痛みを感じしびれる。(5)両脚、膝、足が冷え、しびれ、時には脚がつり膝から下が石のようになる。(6)膝と肘を堅い物にあてると冷えしびれを感じる。(7)全身に電撃の印象が残っている。

右のような障害のため原告の労働力の低下は著しく、原告の障害は被告認定の障害等級第一四級の九号を超える等級に該当すべきものであるから被告の本件処分は障害等級の認定を誤った違法の行政処分であるのでその取消を求める。

二  被告の主張

(一)  原告は昭和三六年七月三一日感電受傷後直ちに八幡鋼管株式会社診療所で診察を受け、電撃症の傷病名のもとにザルグレ、ザルブロ、ブドウ糖、ビタミンの注射等により同年八月三一日まで診療を続けたが、気力皆無、頭痛、性欲減退、全身悪感等種々の訴えが多く、被告の指示により東京労災病院で内科、神経科、泌尿器科の精密検査及び治療を受けた結果、内科では「異常は認められない」旨、また精神科では「脳波その他異常なく、器質的な脳脊髄損傷は考えられない。神経症と考える。」旨、それぞれ診断され、更に関東労災病院で内科、脳神経科、精神科、泌尿器科の精密検査を受けたところ、「受傷部位と称するところには火傷などのはんこんもなく、主として訴えによる障害だけである。泌尿器科的な検査でも器質的になんら障害なく、内科的にも異常所見はない。よって原告の多訴は電撃ショックによる心因反応としての神経症状によるもの。」と診断された。

(二)  そして原告の症状は治療経過にかんがみ一応固定し、もはや医療効果は期待できず自然的好転を待つ以外にない状態にあるものと認められたので、被告は昭和三六年一一月二四日これを治ゆと認定し、なお原告に残存する神経症状は他覚的所見から判断して頑固なものとは認められなかったので、昭和三七年三月八日これを障害等級第一四級の九号に該当するものと認定して本件処分をしたものである。

(三)  元来外傷に起因する神経症は原則として障害補償の対象とはならないものであるが、ただ精神科、神経科専門医の意見に従い、その症状及び経過が災害や神経系損傷に極めて直接、強力に影響されたことが認められ、かつその症状が重篤なものに限って障害等級第一四級九号に該当すると解するのが伝統的な行政解釈であり、又一般的にも支持されているところである。

(四)  原告は右障害等級に関する認定を不服として労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、右審査の段階において審査官の依頼により原告の症状について鑑定した東京大学医学部精神医学教室医師菅又淳及び東京大学医学部泌尿器科助教授新島端夫の鑑定によっても、「身体的所見として腱反射は正常で、運動機能にも感覚にも障害なく、錐体外路症状、自律神経機能にも異常は認められない。脳波は正常範囲に属する。他の内臓にも異常所見は認められない。原告の障害は身体的に器質的変化をもつ疾患ではなく、外傷という心的ショックから発展した心因反応で、この程度は障害等級一四級九号に該当するものと考うべきである。」とされた。

(五)  以上の理由により被告の前記障害等級に関する認定は正当であって、本件障害補償費給付決定に違法の点はない。

第四証拠≪省略≫

第五争点に対する当裁判所の判断

一  原告に残存する障害について

(1)  成立に争いのない甲第一一号証によれば、昭和三九年三月一〇日医療法人明徳会新川橋病院長医師内海栄が、原告には「眼球共同運動麻痺及び輻輳不全麻痺」が存する旨診断したことを認め得るけれども、これを後記(4)記載の各証拠と対比すると、右診断が果して正鵠を得たものかどうか極めて疑わしいといわざるを得ない。

(2)  次に、原告の本人尋問における供述及びこれにより原告自身の作成したものと認める甲第二号証の一、二、同第三号証の一、二、三の各記載に徴すると、昭和三七年六、七月頃原告が東京大学附属病院で検査を受けた際、原告の睾丸に若干の不規則変性があり、細胞の崩壊、核の濃縮、精子減少が見られたこと及び右検査直後原告が脳貧血を起し且つ下腹の疼痛を訴えて同病院医師の診療を受けたこと並びに同年一一月頃原告が関東労災病院で診断を受けた際、同病院の医師のうちに、原告の各種機能に多大の神経障害があると思う旨の意見を表明した者のあることをそれぞれうかがい得るけれども、後記乙第五、六、七号証の記載を参酌して考えると、これらの諸症状(ただし、後記(4)の(二)掲記の心因性障害に含まれるものを除く。)が本件感電事故に由来するものとは速断し難い。

(3)  更に、原告本人の供述及びこれにより原告自身の作成と認める甲第五乃至第七号証の記載中には、いずれも原告の前示主張(前記第三の一の(一)(二)(三)参照)にそうものがあるけれども、これだけでは原告に後記(4)の(二)掲記の心因性障害以外に残存障害があることを認めるに十分ではなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(4)  のみならず、≪証拠省略≫当裁判所の嘱託による国立東京第一病院の鑑定によればかえって次の事実が認められる。

(イ) 原告が前示(第二の二参照)のように東京労災病院、関東労災病院でそれぞれ精密検査を受けた際、東京労災病院医師安藤鋭夫は原告を診断した結果、「内科的には異常は認められない。精神科では頭痛、頭重、胸内苦悶、脱力感、性欲減退、残尿感等の訴え又経過中に視力の減退や心気念慮等を訴えるが、その訴えはまとまりがなく、易変かつ多訴的で、脳波その他には異常なく、器質的な脳脊髄損傷は考えられないので神経症と考える。」旨、また、関東労災病院医師畑下一男も原告を診断した結果、「受傷部位と称するところには火傷などによるはんこんもなく、主として訴による障害だけである。その訴によってまず、泌尿器科的検査をしたところ器質的にはなんの障害もなく内科的にも異常所見はない。従って原告は電撃による心因性の反応によってこのような多訴をしているものと認められる。」旨各診断していること。

(ロ) 更に前記第二の四の如く原告から審査請求を受けた東京労働者災害補償保険審査官赤井信雄が、東京大学医学部精神医学教室医師菅又淳及び東京大学医学部泌尿器科教室助教授新島端夫に原告の障害につき鑑定を依頼したところ、右医師菅又淳は、「原告は、頭痛がする、眼の後が時々重い、眼やにが砂のようにかたい、手がしびれる、足の筋がつる、性的に障害があり勃起が少い、睡眠障害がある、いらいらする、すぐカッとなる、と訴えるが、身体的所見としては神経学的に腱反射はすべて正常で、病的反射はなく、運動機能にも障害はない。感覚機能検査においても感覚の障害は認められず、失調もない、錐体外路症状、自律神経機能にも他の内臓にも特別の異常はない。脳波は正常な範囲に属するが、やや偏った脳波である。レントゲン頭蓋射では特別な異常は認められない。精神的所見としては身体的不調感を訴える心気症が主であり、別に精神病的異常体験はない。知能も正常範囲で知的障害は認められない。よって原告の障害は身体的に器質的変化をもつ症患ではなく、外傷という心的ショックから発展した心因反応である」旨、また、前記助教授新島端夫も「泌尿器には陰茎、陰嚢、睾丸、副睾丸、精系、精管前立腺に異常所見は認められない。精子の数は正常、運動率五〇%以下でやや低下。精系細胞は概して発育良好、精系形成も活溌であるが一部に不規則な変性、細胞の崩壊、核濃縮、精子減数も認められる。軽度の精子形成能低下所見といえる。但しこれらの変化と陰萎との間に直接関聯をもたせることはできず、又これが電撃ショックによるものとは考えられない。」旨、それぞれ鑑定したこと。

(ハ) また、前記第二の四の再審査請求の審査にあたった労働保険審査会も、前記各診断、鑑定を参考にした上、原告の障害を「電撃ショックによりある程度の神経症状が残っていることは否定できないが、その程度は軽度のもので障害等級第一四級九号に該当する。」と認定し、本件再審査請求を棄却するに至ったものであること。

(ニ) そして昭和四〇年五月二八日現在(当裁判所の嘱託による国立東京第一病院の鑑定当時)における原告の健康状態は、(1)自覚的訴えは依然として多岐にわたるけれども、そのうち腰痛の原因と推定すべき腰推の所見は感電に起因するものではなく、その他はこれを裏付けるに足りる他覚的所見が極めて乏しいため、器質的、機能的病変を伴わない神経症と考えるほかないものであること、及び(2)その神経症は、前記感電事故に起因する心因性の障害であって、外傷性神経症と称すべきものであるが、患者の自覚的訴えは、右事故以後関係者から受けた取扱に対する不満が根底にあって感電による受傷そのものからややはなれるに至ったものであること、並びに(3)眼球共同運動麻痺及び輻輳不全麻痺は存在しないこと。

以上(イ)乃至(ニ)の諸事実をそう合すれば、本件感電事故の結果昭和三八年三月八日の原処分当時残存した障害は、前記外傷性神経症以外にはなく、その後も右の状態には変更がないものと認めるのが相当である。

二  残存障害の等級について。

前記規則別表第一記載の障害等級中第一四級九号より上位に当るもので、神経症状に関するものとしては、第一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」があるけれども(第一三級各号には神経症状に関するものがない。)これを同表記載の各等級の障害と比較し且つ証人大西清治の証言を参酌すれば、右一二級一二号は患者の治ゆ後、患部に頑固なとう痛又は知覚異常を残し、日常生活に重大な影響を及ぼす等いわゆる外傷の後遺症で、強度のものがある場合を指すものと解するのが相当であるところ、前記一の(イ)乃至(ニ)認定の諸事実に照すと、原告の残存障害はこれに該当するほど強度のものとは認め難く、若し右別表中に該当すべき等級を求めるならば、それは第一四級九号のほかないものと判断せざるを得ない。

第六結論

以上の次第であるから本件原処分には何ら違法の点はなく、その取消を求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川添利起 裁判官 園部秀信 西村四郎)

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